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請求減額の要素(3)~素因減額 

素因減額とは

 交通事故の損害賠償の交渉において、損害賠償額が減額されうる要素の一つとして「素因減額」が問題となることがあります。

 「素因減額」とは、被害者が事故前から有していた既往症や、身体的特徴、心因的な要因といった「素因」が、事故による損害に寄与し、損害を拡大してしまうといった場合に、被害者の素因を斟酌して損害賠償額を減額することをいいます。
 
 しかし、被害者に何らかの素因があったとしても必ず減額されるわけではありません。では、どのような場合に素因減額がなされるのか、以下、素因減額の2分類のそれぞれ、すなわち心因的要因と身体的要因について、裁判例を挙げてご説明します。

心因的要因

心因的要因とは何か

 心因的要因とは、被害者の精神的傾向が、被害者の被害の拡大に寄与していると思われる場合のことをいいます。具体的には、被害者の性格や社会適応状況、ストレス耐性、うつ病の既往症などが問題となる場合があります。

素因減額を行った裁判例

 これは事故により外傷性頚部症候群(いわゆるむち打ち症)の傷害を負い、10年以上の入通院を継続した被害者についての事案であり、裁判所は、事故との因果関係がある損害を事故後3年間に限定しました。

 さらに、被害者の症状の悪化を招いたのは、被害者の特異な性格、回復への自発的意欲の欠如、加害者への不満等の心理的要因などが関係しているとして、事故後3年間に発生した損害についても「そのすべてを加害者に負担させるのは公平の理念に照らして相当ではない。…その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与している。」とし、過失相殺の規定を類推適用して、損害額を4割の限度に減額しました(最高裁判例昭和63年4月21日判決)。

素因減額を否定した裁判例

 上記判例と同じ頚部捻挫(いわゆるむち打ち症)の傷害を負った事例ですが、被害者は事故後1年2ヶ月は就労することができなかったとしてその間の休業損害などの損害賠償請求を加害者へ行ったところ、加害者は、被害者の症状には他覚的所見もなく治療の遷延は被害者の心因性、私病などの本件事故以外の要因が考えられるとして、素因減額を行うことを主張しました。
 
 しかし裁判所は、被害者は精神的なダメージを受けやすい人間であったことを認めつつも、「『加害者は被害者のあるがままを受け入れなければならない』のが不法行為法の基本原則である」として、素因減額を認めませんでした(東京地裁平成元年9月7日判決)。

 つまり、人間は肉体的にも精神的にも個別性の強い存在ですから、健康で平均的な人間を基準として損害を算出することは許されず、加害者は、被害者の個別性や生じている損害をあるがままに捉えて、賠償しなければならないと判断されたわけです。

心因的素因に関する考え方

 以上、代表的な2つの裁判例を簡単にご案内しました。

 このように裁判実務は、現在のところ、原則的には「あるがまま」に賠償すべきであるとしているものの、被害者の心因的要因が、個性の多様として通常想定される範囲を超えていて、加害者に全損害を賠償させることが公平を失するような場合には素因減額を認めているといえます。

身体的要因

身体的要因とは何か

 身体的要因とは、被害者の既往症、体質的要因などが問題となる場合です。実務上よく問題となるのは、椎間板ヘルニア、変形性頚椎(腰椎)症、骨棘の形成、脊柱管狭窄症などです。

素因減額を行った裁判例

 一酸化炭素中毒という素因を有していた被害者が、交通事故により頭部外傷等の傷害を負った事例があります。被害者は事故後、多様な精神障害を発症し、事故から3年後に呼吸麻痺で死亡しました。

 このような事案について、裁判所は、「加害者に損害の全部を賠償させるのは公平を失する」として、一酸化炭素中毒の態様・程度等を考慮し、損害の50%を減額するものと判断しました(最高裁平成4年6月25日判決)。

素因減額を否定した裁判例

 ここでご紹介する判決は、いわゆる「首長判決」と呼ばれる裁判例です。人の平均的な体格に比して首が長く多少の頚椎の不安定症があるという被害者の身体的特徴(素因)に事故が加わって、バレ・リュー症候群等を発症した事案です。

 ここで裁判所は、「被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情の存しないかぎり、被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないと解すべきである。」として、素因減額を否定しました(最高裁平成8年10月29日判決)。

 また、以上の他、被害者の状態は疾患ではなく、身体的な特徴に過ぎないとして素因減額を否定した例としては、被害者が妊娠中であったもの、年齢の割には骨密度が低下していたもの、脊柱管狭窄症であったものなどがあります(なお、脊柱管狭窄症は、「疾患」であると判断し、減額を認めた裁判例もあり、交渉実務上でも脊柱管狭窄症はよく問題となります。)。

身体的素因に関する考え方

 このように裁判実務においては、もともと被害者が持つ身体的要因が「疾患」に当たる場合や、「通常人の平均値から著しくかけ離れた身体的特徴」を有する場合に限り、素因減額を認める方向にあります。

 もっとも、被害者におけるある器質的状態が、疾患に当たるのか、それとも身体的特徴に止まるのか判断に悩む場合もあり、根本的には、心因的要因の場合と同様、加害者に全損害を賠償させることが公平を失するかどうかを判断のメルクマールとしているように思われます。

素因減額に関する交渉の留意点

 交渉実務上、少しでも被害者に素因が認められると、保険会社がむやみに素因減額を主張してくることがあります。しかし、上述したとおり、素因があるからといって必ずしも減額されるべきではありませんから、よく検討が必要と思います。
 
 また、素因減額を行うことが相当である場合でも、減額を行う割合の判断はとても難しい問題です。この割合については基準化されておらず、裁判例でも実に10%から90%まで認定例に幅がありますから、被害者の素因、事故による傷害の程度、治療経過などを総合考慮し、これと関係する裁判例を分析・比較して減額の割合を算定することが必要となります。

 素因減額は、過失相殺と同様、被害者が受けられる損害賠償額に大きく影響しますから、保険会社から素因減額の主張がなされた場合には、それを鵜呑みにせずに、弁護士に意見を求めることが得策であると思います。

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