2.1 明細書記載の概要・明確性の要件
明細書記載要件の概要
明細書記載要件とは
特許の登録要件のうち手続的要件の一つである、明細書記載要件について解説します。
特許出願された発明にかかる特許請求の範囲、明細書、図面などは、登録のための審査対象となるだけでなく、特許として登録された後は、当該特許権の権利範囲を示す権利書としての役割を有します。
それで、このような明細書の重要な機能に鑑み、特許法は、明細書について一定の要件を満たさない場合は特許を受けることができないと定めています。
明細書記載要件のアウトライン
明細書記載要件には、主として以下のものがあります。
以下、それぞれの要件についてのポイントを、主として特許庁の審査基準に基づき解説します(なお、必ずしも基準の改訂に対応しているとは限りません)。本稿では、発明の明確性の要件について取り上げます。
発明の明確性の要件とは
明確性を必要とする趣旨
まず、発明の明確性という要件(特許法36条6項2号[条文表示])があります。これは、請求項の記載から一の発明が明確に把握できることを求める要件です。
新規性、進歩性の有無その他の発明の特許要件は、特許請求の範囲の記載に基づいて判断されます。ところが、特許請求の範囲の記載から特許を受けようとする発明が明確に把握できなければ、的確にこれら特許要件の判断ができず、特許発明の技術的範囲も理解できません。
そうなると特許制度の運用に混乱が生じることになります。すなわち、当該特許が持つ独占権の範囲が不明確であれば、第三者としては、ある具体的な物や方法が当該特許発明の範囲に入るか否かが分からないために困りますし、さらには権利者自身も無用の争いに対処しなければならなくなるというわけです。
それで、発明の明確性の要件は非常に重要といえます。
「明確性」の考え方
明確性の考え方の概要
特許発明は、ある技術的課題を解決するために必要な技術的事項により特徴づけられます。それで、一の発明が明確に把握できるというためには、ある技術的課題を解決するために必要な事項が請求項に記載されることが必要です。
もっとも、請求項の具体的な記載における「明確性」は、技術常識に照らして判断されることになります。例えば、裁判例を見ると請求項における「システムパラメータ」という記載について、技術常識に照らして明確であるとされた例があります。
また、明確性に反しない範囲で、発明を機能的(作用・機能・性質・特性・方法等で)に表現することもできます。実際、ある物の状態、物と物との関係等を記載する場合、発明の特定のために機能的な表現が必要になります。
さらに、上位概念による発明の特定も常にできないというわけではありませんが、発明の明確性に反するような場合も生じます。例えば、特許請求の範囲に上位概念による構成が記載されている場合であって、公知技術や技術常識を参酌しても、明細書に開示された特定の実施形態のほかには、どのようにして本願発明の効果を奏することができるのか確認できないときは,発明が不明確となるとされた裁判例(知財高裁平成18年10月4日判決)があります。
また、明細書の多岐にわたる記載箇所を参酌・総合してはじめて請求項の発明が理解できるようなものは,明確性の要件を満たすものとはいえないとされます。本来、簡明直截に記載できる内容をことさら不自然に表現することは、第三者の理解を妨げるものであって、発明の明確性を求める法の趣旨に反すると解されます(知財高裁平成19年2月14日判決「無線通信システム」)。
明確性違反の具体的な類型
以下、特許請求の範囲の記載が、明確性の要件に違反する場合の具体的な類型についてご説明します。
(1) 請求項の記載自体が不明確である結果として発明が不明確となる場合
請求項に日本語として不適切な表現がある場合
これは、例えば、請求項中の誤記や日本語として不明確な記載等、そもそも日本語としての表現が不適切であるために発明が不明確となるという場合です。
ただし、軽微な誤記等、それによっては当業者にとって発明が不明確にならないような場合もあります。
明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮しても、請求項中の用語の意味内容を理解できない場合
例えば、「化合物AをRX-5触媒存在下摂氏500度~1000度で加熱処理することによって化合物Bを合成する工程からなる化合物Bの製造方法」という請求項の記載において、「RX-5触媒」について、発明の詳細な説明において定義がなく、かつ出願時の技術常識を考慮しても意味内容を理解できない、といった場合です。
(2) 発明を特定するための事項に技術的な不備がある結果として発明が不明確となる場合
発明の特定事項の内容に技術的な欠陥がある場合
例えば、「60質量%のX成分と、60質量%のY成分と、60質量%のZ成分からなる合金」という記載がある場合、三成分の和が100%を超えていますので、発明の特定事項に技術的な欠陥があるということになります。
発明の特定事項の技術的意味が理解できず、さらに出願時の技術常識を考慮すると発明の特定事項が不足していることが明らかである場合
例えば、「鋳造製ベッドと、弾性体と、金属板と、自動工具交換装置のアームと、工具マガジンと、を備えたマシニングセンタ」という請求項がある場合、弾性体・金属板と他の部品との構造的関係は何ら規定されておらず、明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮しても、弾性体及び金属板の技術的意味を理解することができません。
そして、マシニングセンタの発明については、部品の技術的意味に応じて他の部品との構造的関係が大きく異なることが出願時の技術常識であり、そのような技術常識を考慮すると、請求項において、弾性体・金属板と他の部品との構造的関係を理解するための事項が不足していることは明らかであるということになり、発明が不明確となります。
発明の特定事項どうしの関係が整合していない場合
例えば、請求項に「出発物質Aから中間生成物Bを生産する第1工程、及びCを出発物質として最終生成物Dを生産する第2工程からなる最終生成物Dの製造方法」と記載されているとします。
そして、第1工程の中間生成物Bと第2工程の出発物質Cとが相違していることに加え、明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮して「第1工程」及び「第2工程」との用語の意味するところを解釈したとしても、それらの関係が明確でない場合には、発明は不明確と解されます。
発明の特定事項どうしの技術的な関連がない場合
例えば、「特定のコンピュータープログラムを伝送している情報伝送媒体」という請求項があるとします。
この場合、情報を伝送することは伝送媒体が本来有する機能であり、前記請求項の記載では、伝送媒体が本来有する機能のほかに、情報伝送媒体とコンピュータープログラムとの関連を何ら規定するものとはいえませんから、発明は不明確であると解されます。
請求項に販売地域、販売元等についての記載がある結果、全体として技術的でない事項が記載されていることとなる場合
例えば、商標名を用いて物を特定しようとする記載を含む請求項については、少なくとも出願日以前から出願当時にかけて、その商標名で特定される物が特定の品質、組成、構造などを有する物であったことが当業者にとって明瞭でない場合、発明が不明確になるとされています。
(3) 発明の属するカテゴリーが不明確、又は、いずれのカテゴリーともいえないものが記載されているために発明が不明確となる場合
特許法は、発明を、「物の発明」、「方法の発明」及び「物を生産する方法の発明」に区分して定義しています(特許法2条3項[条文表示])。
それで、特許を受けようとする発明が、これらカテゴリー(物の発明、方法の発明、物を生産する方法の発明)にいずれなのか不明確であったり、又は、いずれのカテゴリーともいえないものが記載されている場合、発明は不明確と判断されます。
例を挙げると「~する方法又は装置」「~する方法及び装置」という請求項の記載は、ある請求項にかかる発明のカテゴリーが不明確であり、発明が不明確と判断されます。
また、「化学物質Aの抗うつ作用」というような、作用、機能、性質、目的、効果のみが記載されている結果、「物」「方法」のいずれとも認定できない場合にも、発明が不明確と判断されます。
(4) 発明の特定事項が選択肢で表現されて、その選択肢どうしが類似の性質又は機能を有しないために発明が不明確となる場合
基本的な考え方
発明の明確性と請求項の制度の趣旨に照らすと、一の請求項に記載された事項に基づいて、一の発明が把握されることが必要であると解されています。
それで、請求項において、発明を特定するための事項に関して二以上の選択肢がある場合で、それら選択肢どうしが類似の性質又は機能を有しない場合には、一の発明とはいえず、発明の明確性に反することとなります。
例えば、「特定の電源を有する送信機又は受信機」という一の請求項中の記載や、一の請求項に化学物質の中間体と最終生成物とが択一的に記載されている場合等が、これらの例となります。
マーカッシュ形式などの択一形式による記載が化学物質に関するものである場合
この点、マーカッシュ形式などの択一形式による記載が化学物質に関するものである場合であって、以下の要件が満たされれば、類似の性質又は機能を有するものであるとして、一の発明を明確に把握することができるとされます。
(i) すべての選択肢が共通の性質又は活性を有しており、かつ、
(ii)(a)共通の化学構造が存在する、すなわちすべての選択肢が重要な化学構造要素を共有している(*1)、又は、
(b)共通の化学構造が判断基準にならない場合、すべての選択肢が、その発明が属する技術分野において一群のものとして認識される化学物質群に属する(*2)。
(*1) 上記(ⅱ)(a)の「すべての選択肢が重要な化学構造要素を共有している」とは、複数の化学物質が、その化学構造の大きな部分を占める共通した化学構造を有しているような場合をいいます。
また化学物質がその化学構造のわずかな部分しか共有しない場合においては、その共有されている化学構造が従来の技術からみて構造的に顕著な部分を構成する場合をいいます。
(*2) 上記(ⅱ)(b)の「一群のものとして認識される化学物質群」とは、請求項に記載された発明の下で同じように作用するであろうことが、その技術分野における知識から予想される化学物質群をいいます。言い換えれば、当該化学物質群に属する各化学物質を互いに入れ換えても同等の結果が得られる、ということになります。
(5) 範囲を曖昧にする表現がある結果として発明の範囲が不明確な場合
ここには、以下のような場合が含まれます。
否定的表現がある結果、発明の範囲が不明確となる場合
「~を除く」、「~でない」等の否定的表現がある結果として発明が不明確となる場合です。
上限又は下限だけを示すような数値範囲限定がある結果、発明の範囲が不明確となる場合
「~以上」のように下限のみを示し上限を示さないもの、「~以下」のように上限だけを示し下限を示さない数値範囲限定がある場合です。
比較の基準若しくは程度が不明確な表現がある、又は用語の意味が曖昧である結果として発明の範囲が不明確となる場合
例えば「やや比重が小さい」「はるかに大きい」のように比較の程度が不明確な場合が該当します。「滑りにくい」「滑りやすい」等の曖昧な意味も表現も該当します。
特定の字句と共に任意付加的事項又は選択的事項が記載された表現がある結果、発明の範囲が不明確となる場合
例えば、「所望により」「必要により」などの字句と共に任意付加的事項又は選択的事項が記載された表現があると、どのような条件で当該任意付加的事項又は選択的事項が必要であるかが不明となり、請求項の記載事項が多義的に解される結果、発明が不明確となります。
また、「特に」「例えば」「など」「好ましくは」「適宜」のような字句を含む記載もこれに準ずると解されています。
「0~20%」等、請求項に0を含む数値範囲限定がある結果発明の範囲が不明確となる場合
当該数値範囲で限定されるものが当該発明において必須成分である旨、発明の詳細な説明に明示的な記載がある場合、請求項中の「0%」との用語(必須ではないことを示す)と矛盾し、発明の範囲が不明確となると解されています。
他方、これに対し、発明の詳細な説明において、当該成分がそれが任意成分であることが理解できるように記載されている場合、0 を含む数値範囲限定を記載しても明確性には反しないと解されています。
請求項の記載が、発明の詳細な説明又は図面の記載で代用されている結果、発明の範囲が不明確となる場合
例えば、請求項において、「図2に示すマシニングセンター」等の代用記載を含む請求項は、明確性の原則に反すると解されています。
請求項が機能・特性等による表現を含む場合
留意すべき点
先述のとおり、発明の特定事項として、作用・機能・性質又は特性による表現形式を用いることは可能ですが、特許請求の範囲を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず、ことさらに不明確あるいは不明瞭な用語を使用して記載すべきではないとされます。
また、機能・特性等による表現形式を用いることによって、発明の詳細な説明に記載された具体例を拡張・一般化したものを請求項に記載することも可能ですが、その結果として、請求項に記載された発明が、発明の詳細な説明において発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えるものになるという場合には、サポート要件(法3 条6項1号)違反となります。
発明が不明確となる類型
明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮しても、請求項に記載された機能・特性等の意味内容を理解できない結果、発明が不明確となる場合
例えば「α研究所測定法に従って測定された粘度がa~bパスカル秒である成分Aを含む筆記具用インク」という請求項があった場合で、「α研究所測定法」が、発明の詳細な説明中にも定義がなく、かつ出願時の技術常識でもないという場合、発明の意味内容を理解できないため、明確性の要件に反することになります。
この点、発明を特定するための事項として記載する機能・特性等は、JIS(日本工業規格)、ISO (国際標準化機構規格)、IEC規格(国際電気標準会議規格)により定められた標準的な定義等又はこれらで定められた試験・測定方法によって定量的に決定できるものを用いるべきものとされます。
他方、標準的に使用されているものを用いないで表現する場は、当該技術分野において当業者に慣用されているか、又は慣用されていないにしてもその定義や試験・測定方法が当業者に理解できるものである場合を除き、発明の詳細な説明において、その機能・特性等の定義や試験・測定方法を明確にし、かつ、請求項中のこれらの用語がかかる定義や試験・測定方法によるものであることが明確になるように記載する必要があります。
出願時の技術常識を考慮すると、機能・特性等によって規定された事項が技術的に十分に特定されていないことが明らかであり、明細書及び図面の記載を考慮しても、請求項の記載から発明を明確に把握できない場合
機能・特性等による表現を含む請求項の場合、請求項上は発明の範囲が明確であっても、出願時の技術常識を考慮すると、機能・特性等によって規定された事項が技術的に十分に特定されていないことが明らかであると判断され、明細書・図面の記載を考慮しても、請求項の記載に基づいて、的確に新規性・進歩性等の特許要件の判断ができない場合があります。
例えば、「電気で走行中のエネルギー効率がa~b%であるハイブリッドカー」という請求項の記載があったというケースで、ハイブリッドカーの技術分野において通常、電気で走行中のエネルギー効率はa%よりはるかに低いc%程度であって、a~b%という高いエネルギー効率を実現することは困難であることが出願時の技術常識であるという場合があるとします。
この場合、前記エネルギー効率を実現するための手段が何ら規定されず、前記エネルギー効率のみで規定された「ハイブリッドカー」は、技術的に十分に特定されていないことが明らかであり、明細書及び図面の記載を考慮しても、請求項の記載から発明を明確に把握することができないと判断されます。
プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(製造方法によって生産物を特定しようとする表現)を含む場合
考え方
発明が「物の発明」であるケースでも、対象物の構成を、製造方法と無関係に物性等により直接的に特定することが不可である場合、困難な場合、又は、何らかの意味で不適切な場合(理解しにくくなる程度が大きい場合など)、その物の製造方法によって物自体を特定することができます。
この点、製造方法によって生産物を特定しようとする表現を含む請求項であって、その生産物自体が構造的にどのようなものかを決定することが極めて困難な場合、審査官は、当該生産物と引用発明たる物との厳密な一致点及び相違点の対比を行わなくとも、両者が同じ物であるとの一応の合理的な疑いを抱いた場合には、その他の部分に相違がない限り、新規性が欠如する旨の拒絶理由が通知されることとなります。
同様に、審査官が、当該生産物と引用発明たる物が類似の物であり本願発明の進歩性が否定されるとの一応の合理的な疑いを抱いた場合にも、進歩性が欠如する旨の拒絶理由が通知されることとなります。
発明が不明確となる類型
明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮しても、請求項の記載事項に基づき製造方法を理解できない結果、発明が不明確となる場合。
例えば、出発物や製造工程等が記載されておらず、出願時の技術常識を考慮してもこれらが理解できない場合です。
他方、これらが請求項に記載されていなくても、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮すればそれらを理解できる場合には、本類型には該当しないとされます。
明細書・図面の記載・出願時の技術常識を考慮しても、生産物の特徴を理解できない結果発明が不明確となる場合
プロダクト・バイ・プロセス・クレームの場合、通常その表現は、最終的に得られた生産物自体を意味しているものと解釈して、当該発明の新規性・進歩性等の特許要件の判断を行います。それで、当該生産物の特徴(構造や性質等)を理解できない結果、的確に新規性・進歩性等の特許要件の判断ができない場合には、明確性に違反することになります。
例えば、「製造方法Xによって製造された無洗米」という請求項の記載があり、明細書には、製造方法Xを採用することによって効率的に無洗米を製造できることが記載されているが、これらの記載は、物(無洗米)に反映されない特徴が記載されているだけという場合、一の請求項から発明を明確に把握することができないとされます。
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